集団的自衛権

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集団的自衛権に反対するプロ市民

集団的自衛権とは、他の国家武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある。なお、第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反になる。

徴兵制との関係

集団的自衛権に反対する自称2000人のブサヨ。数えられそうな気がして数えてみたら160人、たぶん木の下と画面外にあと1840人いると思われる

【Q】「集団的自衛権の行使を認めると、海外に自衛隊員が多く行くことになる。そうすると兵士が不足になるから、最終的には徴兵制を導入することになる、という説を読みましたが、本当でしょうか?」

【A】
安全保障関連の議論の中でよく「そんなことを許せば徴兵制につながる」といった主張をなさる方々はたしかにおられます。しかし、軍事合理性から考えて、徴兵制のメリットが日本にはありません。

また、自衛官の志願者は数多くいて、競争率は高いのです。現時点で5倍超です。無理やり入りたくない人を入れる必要がありません。3か月くらい訓練すれば、一応銃は撃てる程度にはなるかもしれませんが、今自衛官に要求されるレベルはそれよりもはるかに高いものです。

そもそも、そんなに簡単に「即戦力」が作れるのであれば、自衛官が日々行っている訓練には何の意味があるのか、ということです。体力と気力だけあればいいというものでもない。

戦後長きにわたって徴兵制を維持してきたドイツにおいても、2011年、これを廃止することとなりました。しかし数年前ドイツを訪問し、与野党の議員と議論した際、多くの議員が徴兵制を維持すべきだとした理由は誠に印象的であり、深く考えさせられたものでした。

「ドイツが徴兵制を維持するのは、再びナチスのような存在が台頭することを防ぐためである。軍は市民社会の中に存在しなくてはならず、市民社会と隔絶することがあってはならない。第一次大戦に敗れた後、軍を市民と切り離したために、ナチスのような過激な集団が台頭した。徴兵制は市民と軍とが一体となるために必要な手段なのだ」

彼らは異口同音にそう述べ、同じ敗戦国でこうも考え方が異なるのかと思いました。

現代戦において、軍人は徹底したプロフェッショナルでなくてはならず、徴兵制はその面からもコスト面からもデメリットが多いことは先に述べた通りですが、徴兵制を憲法上認めないこととして、その上で軍事組織に対する国民の理解を深め、文民統制を実効あるものとするためには、教育も含めて多大の努力が必要となります。

同じように2001年、徴兵制を廃止したフランスにおいては、新たに「国防の日」を設け、かつて徴兵適齢期とされた青年たちに、フランスの国防の歴史や安全保障政策を学ばせることとなったと聞きます。

軍事に関することを忌避することがそのまま平和につながるわけではないことを、改めて考えさせられます。日本以外の国連加盟国は全て、集団的自衛権の行使を認めてきましたが、そのうち徴兵制を施行しているのはごく一部です。

「徴兵制」「軍事大国」「若者が前線に」分かりやすく目立つ言葉で釣る、煽動とセンセーショナリズムの手法

集団的自衛権になぜか反対する在日中国人
日本の集団的自衛権に対する各国の反応

最近ちまた、特にインターネット界隈で「集団的自衛権」に関連する形にて、「徴兵制」「軍事大国」、召集令状に該当する「赤紙」、挙句の果てには第二次大戦の軍事的独裁者「ヒトラー」の名前を持ち出し、さらには「若者が前線に」とまで断じ、大きな声を挙げてヒステリックに論調を展開するのが流行の気配を見せている。それらは概して注目を集め、読まれている感がある。

しかしその内容については、多分にセンセーショナリズム的な手法によるもの、さらにいえば煽動主義、イエロージャーナリズム的なものと評せざるを得ない。

「集団的自衛権」そのものに関しては、一次ソースにあたる内閣官房の公式ページ中の「安全保障法制の整備について」の全文、さらには「「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」の一問一答」を読めば、常識レベルで読解力を持つ人ならば、一部で騒がれ、注目されている論調の内容が、誤解、さらには意図的な誤認・誤解釈を含めた拡大解釈に過ぎないことが理解できる。中には「拡大解釈をするな」という論調そのものが拡大解釈をしているのだから、支離滅裂ですらある。

ではなぜ、冷静に判断すればゴミ箱行き的な内容でしかない、これらの論調が注目を集めているのか。それは分かりやすく、目立ち、そして危機感を覚える言葉で飾られているからに他ならない。広告論的な手法を悪用している、イエロージャーナリズム、雰囲気で煽り立てる手法ともいえる。

ネガティブな方向を持ち印象深い言葉を使い、該当する事象に目を向けさせ、さらに同意を得させたい。精査すれば論理的に破たんしている内容でも構わない。雰囲気的にそれとなく同意を得られれば良く、雰囲気的に同意できる人だけでも誘導できれば勝ちなのだから。

その観点ではある意味、「集団的自衛権」から一連の煽りを成して、軍事大国や徴兵制に飛躍する論理を展開している事例では、その語り手は聞き手をも馬鹿にしてることになる。「どのみち論理的に破たんしてても、騒いで伝えれば信じ込んでしまうだろう」という思惑が見えてくるからだ(本当に心底その内容を信じているのなら、読解力の鍛練と一次ソースの繰り返しての音読をお薦めする)。

なぜネガティブなものを選ぶのか。人は生存本能の上で、ネガティブな情報にはより敏感に反応するからに他ならない。自分にとって生死に関わりうる情報に敏感で無ければ、命を失いかねないからだ。いわば本能のようなものだろう。この辺りの感覚は、震災以降多くの人が実体験して理解しているはずだ。

事あるたびに用いられる言葉としても有名な「徴兵制」一つを挙げても、第二次大戦当時まで、あるいは一部新興国での戦いならばともかく、近代国家においては、それが無意味で、非論理的な仕組みでしかないことはすでに明らか、というよりは事実でしかない。軍事関連をかじった者ならば、現状で日本において「徴兵制」を掲げることがいかに愚であるかはすぐに理解できる。

軍事力拡大というイメージを肉付けし、恐怖感を煽るために「徴兵制」という言葉を持ち出す。その時点で、前世紀的な発想でしかないこと、あるいは精査をせずに語っている事実を露呈しているようなもの。またはそれこそ「ゲーム感覚」なのかもしれない。

ではなぜ、何度も何度も「徴兵制」という言葉が悪用されるのか。それはひとえに「言葉のインパクト」「イメージしやすさ」をその言葉が有しているからに他ならない。また、シニア層で実体験した人が多いのも一因といえる。連想ゲームのように、パッと聞きで分かりやすそうな言葉を並べ、「なんだか軍事的な感じの言葉だな、集団的自衛権って」「軍事大国化するっぽいっていってるからそうなのも」「軍事大国っていうと徴兵制だよな」「徴兵制? 学徒出陣のように若者が前線に」という具合である。記憶術の一つとして物事を連想付けて覚える手法があるが、あれと似たような論理で、連想によって印象付けられた内容は得てして記憶に刻まれやすい。それが正しいのか否かを問わずに、である。今件事例でも、まさにそれを悪用している。

この「正しいか否かは二の次」「連想しやすい」「分かりやすい」言葉で攻め立てる方法は、「分かりやすい」イコール「正しい」ではない。分かりやすい内容だから、連想しやすい内容だからといって、それが正しいものである保証はない。むしろ間違っている内容を広めるために、あえて分かりやすく、イメージさせやすくしている事例も多々あるのが現実である。

「良く知られている」「恐怖感をあおる」「関連性がありそうな」言葉を使って人を恐怖させ、煽動する。「集団的自衛権」に絡んだ昨今の動きは、非常に分かりやすい事例に他ならない。SF商法や悪質な新興宗教では日常茶飯事的に行われている切り口ではあるが、それだけに、あまりにも典型的すぎるパターンの繰り返しで、はじめからタネが分かった状態で手品を見せられているような気分ですらある。しかしそれでもなお、その手品を信じて疑わず、内容にほれ込んでしまう人は少なくない。

「集団的自衛権」関連の話では、こんな例えがある。

「集団的自衛権を認めたら戦争が起こせる」ってのは「共学に行ったら彼女ができる」並に発想が短絡的、っていう例えの適切さヤバい。

「徴兵制」「軍事大国」「ヒトラー」「赤紙」「若者が前線に」などと連鎖的に語り危機感をあおる論評ならば、それこそ、

このアクセサリをつけたら彼女が出来て宝くじが当たって筋肉マッチョになって一万円札のお風呂に入浴出来て東大にストレートで>合格して上級公務員試験に一発合格して声優と結婚できて悟りを開いて大統一場理論を確立して永遠の命を得て異次元支配に>乗り出せる

ぐらいの短絡的ヤバさといえよう。

朝日新聞をはじめとする反対運動への反応

  • 集団的自衛権は権利だからな。日本に権利を認めたくない連中といえばアレだよアレwwwwwwwww
  • 極左
  • 軍事的な単語にアレルギーでもあるのかってくらい内容読まずに文字の印象で勝手に戦争反対って叫んでる馬鹿が多い
  • 勝手に移住してきたお隣の国の方達が、広めているだけじゃないの?(´・ω・`)
  • 左翼「うるせー、そんな事よりドンチャン騒ぎの後の打ち上げがやりてーんだ」
  • 騒いでいるのは本当に日本人なんでしょうかねー
  • 反対してる連中に聞きたい。日本を守るのは誰なの?日本人じゃないの?他国が守ってくれるとでも思ってるの?
  • 少数派を取り上げるマスゴミ。背後関係を確認すれば正体もしれるでしょ。
  • 戦争反対言ってるやつらが一番好戦的っていうwwww
  • だって認めさせたくないからいちゃもんつけてるだけですし。論理性なんてないよ彼ら彼女らには
  • まぁ、9条を掲げて出会い系の場と化してるデモ(笑)に何言ってもムダだわw
  • マジで頭がお花畑な奴が居るから性質が悪い
  • 自衛官が身内にいるが、大賛成だし、むしろ無いと困るって言ってたわ。もっとスクランブルで飛行機飛ばしてる数を報道すべきだよ。基地の近くに住んで無い奴は回数にビビると思う。
  • ちょうど今さっきも団塊左翼が集団的自衛権と徴兵、戦争を結びつけて、のぼり立てて長々と演説してたわ。毎度テンプレ内容で、聴こえてくるだけでうんざりなんだけど、あいつら頭大丈夫なの?内閣官房のHPよりもLINEで出回ってる怪文書を信じるアホが多いとか・・・
  • 朝日「アーアーキコエナーイ」
  • ちなみに憲法九条は日本政府が戦争をするのを禁止しているのであって日本人が戦争に参加するのを禁止するとは何処にも書いてない。九条を守ったところで日本人が戦争から切り離されるわけじゃないよ
  • 徴兵制うんぬんもあるけど、他国に攻められたときどうやって守るつもりなんだろうねって思うんだけどさ
  • 喧嘩の元になるなら領土なんてあげちゃえばいい、ってガチで知り合いが言ってたの聞いて、この手の連中はホント何言っても通じないんだなって思った。戦争をしない、っていうか日本が戦場にならないようにするための手段なのにね
  • ついでに言わせて貰えば無抵抗主義を貫いたチベットだって中国は構わず蹂躙する。日本が武装解除している間に韓国は竹島を盗んだ。9条バリアなんて役に立たないのさ

反射的に安倍政権けなす「朝日」。偏見打破どころか、歪んだステレオタイプを拡散

「今朝の朝日新聞の1面記事を見たかい。わざわざ菅義偉官房長官の名前を出してあおっていた。安全保障法制は危険だと印象付けるのが狙いだろう」

政府高官は2015年5月26日夜、周囲にこう指摘した。その記事は「集団的自衛権どこまで」「菅氏『新3要件下で敵基地攻撃も』」との見出しで、リード部分には「他国のミサイル発射を防ぐための敵基地攻撃も可能とする見解が示された」と書いている。見出しとリードだけ読むと、読者は安全保障関連法案によって、新たに敵基地攻撃が可能となったように誤解しかねない。だが実際は、すでに昭和31年に当時の鳩山一郎首相が衆院内閣委員会で次の有名な政府統一見解で示している。

「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだとは、どうしても考えられない。他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」

つまり、これはもともと個別的自衛権で認められていた範囲であり、新たな安保法制下でも可能なのは理の当然だろう。にもかかわらず朝日の記事は、「敵基地攻撃も他国領域での武力行使の『例外』として加えることで、新3要件に当てはまれば行使の範囲が際限なく広がる可能性が出てきた」と書くのである。

5月24日付朝日朝刊の杉田敦法政大教授長谷部恭男早稲田大教授の対談記事「安保法制安倍政権の『話法』から考える」も、その手法に同様の危うさを感じた。安倍晋三首相に関する以下のやりとりがそれだ。

杉田氏「首相は党首討論で、ポツダム宣言を『読んでいない』とし、先の大戦の評価についての質問に答えなかった」
長谷部氏「読んでもいないものから脱却しようとは、マジシャンそこのけです」

安倍首相は「その部分をつまびらかに読んでいない」と答弁しただけで、全部「読んでいない」などと言っているのではない。安倍政権の「話法」をうんぬんする前に、自分たちの言葉遣いにもっと注意した方がいい。また、ポツダム宣言については、民主党岡田克也代表も5月22日の記者会見でこう述べている。

「今まで何度か読んだことあるが、中身をあまり鮮明に覚えているわけではない。党首討論の後、また読んだが、非常にわかりにくい文章だという印象だ」

安倍首相を繰り返し批判するのであれば、岡田氏のこの発言も批判的に取り上げないと筋が通らないはずだ。とにかく、安倍首相とその政権の言うことなすことステレオタイプに「問題がある」「危険だ」ととらえ、反射的にけなすという姿勢はいかがなものか。ステレオタイプという言葉を定着させた米国のジャーナリスト、リップマンは著書『世論』(1922年刊行)でこう戒めている。

「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る」「ステレオタイプが無批判に受け入れられると、配慮されなければならない多くのことがふるい落とされてしまう」「われわれは自分の反対者を悪者や陰謀家に仕立てる」

本来、メディアには社会の固定観念や偏見を打破する役割が求められている。ところが現実は、メディアが率先してゆがんだステレオタイプを広めている。

見分けがつかぬ中国共産党と日本の野党による集団的自衛権批判(2015年7月)

参議院2015年7月27日に始まった安全保障関連法案の審議を聴こうとテレビをつけ机に向かったが、中国が発した日本の集団的自衛権批判を扱う番組と勘違いし、チャンネルを替えようと振り返って驚いた。参院本会議で質問に立つ民主党北澤俊美氏(77)が映っているではないか。北澤氏はこう言った。

「憲法違反の法案、立憲主義を理解しない首相。この組み合わせが安全保障法制だ」

北澤氏の質問は、中国国営新華社通信が発信した中国共産党プロパガンダにソックリだった。安保関連法案が衆院平和安全法制特別委員会で可決(7月15日)されるや、新華社は速報で批判を繰り広げた。

《広く違憲と考えられている/(成立後)海外の武力衝突地域で、自衛隊がより大きな任務を果たすことを許す/憲法第9条は明らかに自衛隊の海外での戦闘と集団的自衛権行使を禁じている/日本政府は制約を撤廃すべく違憲解釈をした》

中国の批判は明々白々。日本が極めて限定的ながらも、米国はじめ民主国家との間で集団的自衛権を行使できるようになると、日本領域奪取など軍事膨張を背景とする中華秩序建設の妨げになるためだ。明らかに、中国は危機感を抱いている。逆説的には、政府が整備を進める関連法制は、中国に侵略を躊躇させる抑止力に成り得る証し。

しかし、左翼野党は中国ではなく、日本政府にファイティング・ポーズを向ける。日本共産党市田忠義氏(72)に至っては、中国共産党顔負けの切り込みを展開した。

「憲法と国民主権の蹂躙で、立憲主義の原則に反する歴史的暴挙だ。米国の戦争に自衛隊が参戦し、海外で武力行使を行おうとするものだ。クーデターともいうべき法体系の破壊だ」

左翼野党には、中国の膨張に対する強い危機感が見られぬばかりか、もはや左翼野党と中国共産党による日本政府への中傷は見分けがつかぬ。そもそも集団的自衛権は全国家が権利を有し、ほとんどの国家が行使を前提に安保体制を整えるが、日本のみ行使できない。左翼野党は、国際社会を武力をもってかき乱す中国も、北朝鮮も、ロシアも眼中になく「日本は世界で一番アブナイ国」と断定している。

一方、外交的配慮もあり、名指しに慎重だった安倍晋三首相(60)は憂慮を明確にした。7月28、29日の参院特別委で、岩礁を埋め立てて軍事基地を急造し、資源を違法開発する中国を名指しで指弾。法制整備が中国の強引な海洋侵出に歯止めを掛ける旨を強調した。

  1. 南シナ海中国が大規模な埋め立てを行い、東シナ海ガス田でも(日中共同開発の)合意が守られていない
  2. こうした力による現状変更はできないと理解させつつ、平和的発展への方針変更を促すことが大切。法制を整備し、日米同盟が揺るぎないと内外に示すことで、わが国の平和と安全を守り抜いていける
  3. 中国の力による現状変更の試みには、事態をエスカレートすることなく、冷静かつ毅然として対応していく。

抑止力強化=戦争回避を目指す至極もっともな法制整備理由である。ところが、北澤氏は「覇道」、市田氏は「独裁の道」と、軽々に法案にレッテルを貼る。「覇道」「独裁の道」こそ、中国に浴びせる言葉である。

日本を危険視し、中国に寛大な左翼野党を尻目に、中国が占領を狙う尖閣諸島を市域に抱える沖縄県石垣市議会は7月15日、法案の今国会成立を求める意見書を可決したが「永田町では感じ得ない肌感覚の危機感を持っている」(首相)。

もっとも「危機感」は持つが、政治的に封印する政治家もいる。民主党枝野幸男幹事長(51)は会見(7月29日)で「特定の国名を出して話をすることは避けるべきだ」と指摘し、政府の「焦り」だと切って棄てた。枝野氏は意外にも、中国へはそれなりに厳しい態度を採ってきたが、この日はなぜか変心した。むしろ、安倍氏が中国を名指しするはるか以前より、日本を日常的に名指し批判してきた中国の「焦り」を感じる。例えば、5月発表の国防白書《中国の軍事戦略》。

《日本は戦後体制脱却を目指し軍事・安全保障政策の大幅な調整・変更を進め、地域諸国に重大な懸念を誘発した》

《地域諸国に重大な懸念を誘発》しているのは中国で、主要国もASEAN(東南アジア諸国連合)加盟国も、日本の集団的自衛権行使をこぞって歓迎。《重大な懸念を誘発した》のは、誼を通ずるわずかばかりの無法国家だけだ。否、日本の左翼野党も《重大な懸念を誘発》された。国際社会が支持して、無法国家と左翼野党のみ反対する様子は、天下の奇観である。

審議では、左翼野党が「国民の理解が深まっていない」と連呼。「戦争法案」へと問題を単純化し、国民の不安を煽る。同時に、なぜ今必要なのかをけむに巻きながら、出自の怪しい故に分かり難い憲法や法律をこねくり回し議論を複雑化する。国民は単純化された「戦争法案」なる看板の前で凍り付き、複雑な議論が耳に入らない。新聞の投書欄に載った岡山県の中学校講師(33)の声を抜粋したい。

国会中継を見て、新聞インターネットで関連記事を熟読した人は、おそらく少ないだろう。多くが、編集されたニュース番組などを見た程度ではないか(略)国民の姿勢にも原因があるように思えてならない》

《編集された番組》という箇所で目が留まった。授業中、生徒に《もうすぐ日本は戦争を始めるんですよね》といわれた福岡県の中学校教員(30)も、生徒ではなく《社会に関心を持ち始め、成長途中の中学生に、いいかげんな感覚を植え付ける社会に》怒っていた。

《まことしやかに流される「情報」には中立を欠くものが多い。国会で議論されている安保法制に関しては特に顕著で(略)ネガティブなキャンペーンを執拗に繰り返す一部マスコミが中学生を不安に陥れている(略)生徒に「全くその逆だ」と答えた私は、それから1時間の特別授業を始めた》

左翼野党や《一部マスコミ》はぜひ《特別授業》を受けていただきたい。

ブサヨが敬愛する中国、「岩礁埋め立ては外交戦略の傑作だ」中国紙が自賛「米比は反対しても何もできない」

2015年8月22日付の中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は、中国南シナ海で進めてきた岩礁埋め立てについて「非常な成功だった。中国外交戦略の傑作だ」と自賛した。

同紙社説は、埋め立ては合法で「米国フィリピンは強烈に反対しても何もできない」と指摘。南シナ海は「中国が長い屈辱と挫折を経て取り戻した“大国心理”のよりどころだ」と主張した。

また、フィリピンの国防費は中国の国防費に遠く及ばず、「ベトナム国内総生産(GDP)は中国広西チワン族自治区のGDPにも達しない」と強調。両国は中国の軍事的脅威にはなり得ないと述べた。

沿革

集団的自衛権は、1945年に署名・発効した国連憲章の第51条において初めて明文化された権利である。憲章第51条を以下に引用する。

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

国連憲章第51条

上記のように国連憲章には「固有の権利」として規定されたが、個別的自衛権(自国を防衛する権利)は同憲章成立以前から国際法上承認された国家の権利であったのに対し、集団的自衛権については同憲章成立以前にこれが国際法上承認されていたとする事例・学説は存在しない。

1944年にダンバートン・オークス会議において採択され、後に国連憲章の基となったダンバートン・オークス提案には、個別的または集団的自衛に関する規定は存在しなかった。しかし後に国連憲章第8章に定められた“地域的機関”(欧州連合アフリカ連合などの地域共同体のこと)による強制行動には、安全保障理事会による事前の許可が必要とされることとなり、常任理事国の拒否権制度が導入されたことから常任理事国の拒否権発動によって地域的機関が必要な強制行動を採れなくなる事態が予想された。このような理由から、サンフランシスコ会議におけるラテンアメリカ諸国の主張によって、安全保障理事会の許可がなくても共同防衛を行う法的根拠を確保するために集団的自衛権が国連憲章に明記されるに至った。

冷戦期には集団的自衛権に基づいて北大西洋条約機構(NATO)やワルシャワ条約機構(WTO)といった国際機関が設立され、集団的自衛を実践するための共同防衛体制が構築された。しかし冷戦が終結するとワルシャワ条約機構は解体されるなど、このような集団的自衛権に基づく共同防衛体制の必要性は低下していった。

権利の性質

個別的および集団的
自衛権行使の要件
要件 個別的 集団的
必要性 15px 15px
均衡性 15px 15px
攻撃を受けた旨の表明 X mark.svg 15px
援助要請 X mark.svg 15px
ニカラグア事件判決によると、10pxで示した要件のうちいずれかひとつでも満たさない場合には正当な自衛権行使とは見なされない。

個別的自衛権は国連憲章成立以前から認められた国家の慣習国際法上の権利であり、上記の国連憲章第51条において個別的自衛権を「固有の権利」としているのはこの点を確認したものである。

集団的自衛権が攻撃を受けていない第三国の権利である以上、実際に集団的自衛権を行使するかどうかは各国の自由であり、通常第三国は武力攻撃を受けた国に対して援助をする義務を負うわけではない。そのため米州共同防衛条約北大西洋条約日米安全保障条約などのように、締約国の間で集団的自衛を権利から義務に転換する条約が結ばれることもある。国際慣習法上、相手国の攻撃が差し迫ったものであり他に選択の余地や時間がないという「必要性」と、選択された措置が自衛措置としての限度内のものでなければならないという「均衡性」が、国家が合法的に個別的自衛権を行使するための条件とされる。

1986年、国際司法裁判所ニカラグア事件判決において、集団的自衛権行使のためには上記のような個別的自衛権行使のための要件に加えて、武力攻撃を受けた国がその旨を表明することと、攻撃を受けた国が第三国に対して援助要請をすることが、国際慣習法上要件とされるとした。第三国の実体的利益に対する侵害が存在するか否かという点を要件とするかについては現在も意見の相違がある。つまり、第三国の実体的利益に対する侵害が集団的自衛権行使の要件として必要とする立場では第三国も攻撃を受けた国と同様に単独で個別的自衛権を行使できる場合にしか集団的自衛権行使は認められないとするのに対し、第三国の実体的利益に対する侵害が要件として不要とする立場では集団的自衛権は攻撃を受けた国の武力が不十分である場合に国際平和と安全のため行使される共同防衛の権利であり、第三国の実体的利益への侵害は無関係であるとする。ニカラグア事件国際司法裁判所判決もこれらのうちいずれの見解を採用したものであったのか明確ではない。

権利の濫用

冷戦期に、特にアメリカ合衆国ソビエト連邦はその勢力内での反体制活動を抑えるため武力行動を行い、その法的根拠として集団的自衛権を主張した。しかしこれらの武力行動は外部からの武力攻撃が発生していない状態で行われたものであり、これらの武力行動を集団的自衛権として正当化することは困難である。

日本における集団的自衛権

内閣官房及び首相安倍晋三の答弁によれば、日本における集団的自衛権の行使の要件として、日本に対する武力攻撃、又は日本と密接な関係にある国に対して武力攻撃がなされ、かつ、それによって「日本国民」に明白な危険があり、集団的自衛権行使以外に方法がなく、必要最小限度の実力行使に留まるという要件が必要である。これを自衛の措置としての武力の行使の「新三要件」という。あくまで集団的自衛権の趣旨は日本国民を守るものであるため、密接な関係にあったとしても、他国民の保護のための行使はできない。また、専守防衛は堅持していくとし、先制攻撃は許されていない。海外派兵についても許されていない。

しかし外国における、日本の集団的自衛権の考え方は、日本政府の解釈とは異なっている。フィリピンの大統領アキノは「他国を支援する権限を持つことで、アジア地域に恩恵をもたらすことができると信じている」と述べている。また首相安倍晋三は、集団的自衛権容認について、「地域、国際社会の平和と安定に寄与するもの」としており、ニュージーランドの首相キーは中国が海洋進出を強める南シナ海、東シナ海情勢に関し「平和と安定が不可欠だ」として事実上、日本の集団的自衛権を容認している。安倍は日米同盟を強化する事で、抑止力が高まるという視点から、集団的自衛権が存在し、対外的にアピールする事によって「日本が戦争に巻き込まれるおそれは一層なくなっていく」と主張している。

ロシア外務省の情報報道局長ルカシェビッチは安倍内閣が掲げる積極的平和主義の意味も含め、今後どのような安全保障政策をとるかを注意深く見守る考えを示している。その上で「第2次大戦の結果を全面的に認め、日本の軍国主義の犯罪を正当化するような試みを看過しないことを期待している」と指摘し、「周辺国が敏感に反応することを日本は自覚しなければならない」とクギを刺している。

国内においても「集団的自衛権は、国際法上、同盟国を守るために海外に派兵する権利」と見て反対する憲法学者らもおり、「集団的自衛権」そのものの概念について、食い違いが生じている。

首相安倍晋三によれば「紛争中の外国から避難する邦人を乗せた米輸送艦を自衛隊が守れるようにする」というのが集団的自衛権の行使事例だという。また、内閣官房長官菅義偉によれば、「新三要件を満たせば、中東ペルシャ湾のホルムズ海峡で機雷除去が可能だ」としており、「原油を輸送する重要な航路に機雷がまかれれば、国民生活にとって死活的な問題になる」としている。

しかしながら内閣官房の概要によれば、「石油なしで国民生活は成り立たないが、代替エネルギー利用を進め、外交や国際協調に全力を尽くしており、憲法上許されるのは、国民の命と平和な暮らしを守るための自衛措置のみであるから、石油のために集団的自衛権の行使を行う事はできない」としている。

現実問題として、機雷除去については、集団的自衛権があるか否かに関わらず、停戦後であれば、「警察権の行使」として危険物を除去していると解釈することで行う事ができるとしている。しかしながら、戦時中の場合、「集団安全保障」措置に基づいていても、自衛隊は参加できないと解釈していたが、2014年6月20日に自民党は、攻撃を伴わない機雷掃海活動について、集団安全保障措置の下で武力行使を認めたいと主張した。

あくまで、これらは安倍内閣における憲法解釈であって、内閣によって異なる可能性は存在している。

従来の政府見解

日本政府は従来より必要最小限度の範囲の自衛権の措置は認めていたが、1981年の閣議決定において、集団的自衛権の行使は認められないとしており、2014年7月7日15時まで防衛省のホームページ上には、集団的自衛権は認められないと掲載されていた。また、自衛権の行使についても、「わが国に対する急迫不正の侵害があること」という要件が表記されていた。

関連項目

外部リンク